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そして二日目。蒲田の宿から京浜東北線で大井町まで。ここには小学生時代に住んでいたんです。当時は線路の向こうにあったイトーヨーカドーが場所を移していました。以前20代の頃訪れた時は当時とほぼ変わらずでしたが、さすがに今回はずいぶん大きく変わっていました。 |
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珍しくバスで移動。渋谷行きです。福岡人は前ドアから乗車するのに違和感を感じてしまいます。整理券もないし。
あと、中央から前側のフロアが低いこと。西鉄バスと比べて階段二段分低いので、乗り降りが非常に楽です。ただ、中央から後ろ側は普通の高さになってます。 |
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バスでおよそ30分。中目黒の先、「東山1丁目」というバス停で下ります。
ここは中学生の前半に住んでいたところです。大井町と違って、ここに来るのは引っ越した中2の夏休み以来ですから、30年以上経過してます・・・。当時こんなに歩道は広くなかったはず。 |
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当時は殺風景だった目黒川沿いを歩きます。よくドラマなどで見られる場所です。当時も、学校帰りの弟が「ゴリさんが走ってた!」と興奮しながら帰ってきたことがあったそうです。 |
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この赤い橋は本当に何度もテレビでみたことがあります。ただ、私がいたころにはありませんでした。 |
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以前住んでいた社宅の跡地は公園になっています。
元々岡藩(大分)の藩主別邸で、その後西郷従道(隆盛の弟)の邸宅・庭園だった場所です。 |
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芝生の部分に我が家がありました。その当時の時点でかなり古い家でした。
当時の友人達はどうしているかな?
卒業前に転校してしまった(しかも九州に)ので、その後5年ほどは数人と年賀状のやりとりはありましたが、その後全く連絡できてません。青春18切符で九州までやってきたYくん、元気にしてるだろうか? |
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坂を上がり、旧山手通り方面へ出ると、超がつくほどの高級住宅街です。カミさんはその一軒一軒が個人宅であることがどうしても信じられません。 |
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旧山手通り。この反対側のちょっと先にテレビで何度も取り上げられていた、立派な蔦屋(代官山)があります。
ここは渋谷まで徒歩圏内です。ただ、当時の中坊には都会の近くに住んでいるということ自体猫に小判でしたね。よく映画は見に行ってましたが。ロッキーとかカプリコン1とかスティング(名画座で)とか。 |
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弟が通っていた小学校は何とグランドが人工芝になっていました。 |
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さらに進んで中学校へ。 |
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タイムスリップしたような気分に浸っていたら、本当にタイムスリップしてきたかのような自転車と遭遇しました。まさに当時はこんなのが主流でしたが、リムとかハンドルとかにサビがほとんどないのが不思議でたまりません。ここだけマジで当時のまま?
セミドロップハンドル、ガチャンって変速する大きなレバー、荷台下には大きな電池ボックスを備えたフラッシャー。あー、懐かしい。 |
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そして、卒業したわけではないので、なんちゃって母校へ。
ここは校舎も体育館も当時のままだったのには相当驚かされました。
あと数ヶ月通えていたら東北地方へ3泊4日の修学旅行に行けていたというのが、今でも悔やまれます。 |
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中学校からさらに先へ。このエリアにはあんまり来た記憶はありません。
間もなく本題の邸宅巡りがスタートします。 |
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井の頭線の線路を越えて少し歩くと旧前田侯爵邸があります。こちらは洋館で昭和4年の竣工です。
駒場公園の一部として、無料で公開されています。 |
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当然のことながら中は立派。
ここは10時くらいからカフェになります。 |
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階段も立派。 |
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ここは応接室だったかな。 |
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主寝室。庶民がこんな部屋で寝たら絶対に落ち着かず、眠れないはず。 |
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すぐ横に和館もあります。昭和5年の竣工。 |
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手前は部屋ではなく廊下。向こう側左は17.5畳で、右は21畳。その向こうは広縁と庭です。
周辺に観光施設や商業施設があるわけではないせいか、見学者はちらほら程度で、とても連休中とは思えません。
見学後は井の頭線で渋谷へ。渋谷からメトロ銀座線で上野広小路へ。 |
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地下鉄を出ると上野の春日通りはこの通り。連休中の都心部はいつもこんな感じなんでしょうか。
あとから知ったことですが、この道向かいにある上野広小路亭で、あの牧伸二さんの最後の舞台がまさにこの日に行われていたんです。私らが通りがかったは、昼の部がちょうど始まる位の時間でした。 |
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一本裏通りに入り、こんな急な石段を上がってやってきたのは・・・。 |
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学問の神様、湯島天神です。よく名前は聞きますが、訪れるのは初めてです。特に深い意味はなく、近くにあるならばついでに、ということで立ち寄ってみました。 |
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上野での主目的はこちら。旧岩崎邸庭園です。
ここも東京都が公園として管理しています。こちらは立地がいいせいか、入園料400円です。さらには邸内での撮影は禁止です。
確かにたいそう豪華ではありますが、前田邸を見た後なので、そんなに感動できませんでした。由緒正しいお大尽な家と、成り上がりで頂点に上り詰めた家という感じでしょうか。やはりホンモノの金持ちは何か風格が違います。こちらは少々成金趣味的なところがチラホラ見え隠れする感じがしました。
ここは多くの見学者が来ていました。 |
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岩崎邸の後は、17年ぶりに不忍池を通り |
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多分初めて西郷さんにお会いして |
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この周辺はどこもかしこも人が多くて、せっかく東京まで来たというのにこういうお昼ご飯になりました。でも、夜の蒲田餃子に備えて適量を短時間で頂けたのはよかったです。 |
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上野からは京浜東北線で上中里駅へ。
帰ってから母に聞いたんですが、私が生まれたときの住所は「北区上中里」だったんだそうです。全く記憶にございませんが。 |
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最後の邸宅は旧古河庭園です。入園料150円ですが、六義園とセットだと400円となり(六義園は300円)50円お得です。
券売所のご婦人がたいそう要領が悪く、行列ができていました。
ここは前田邸同様中心部ではなく、交通の便もよくないんですが、入園者がたくさんいました。カメラサークルの集会なのか、立派なカメラを持った若い人がたくさんいて、花を中心に撮影していました。
本来邸宅内も見学できるのですが、この日は披露宴のために貸し切りという、信じられないようなイベントが開催されていました。究極のハウス・ウエディングです。
非常に趣味のいい洋館と思ったら、設計者は岩崎邸と同じ英国人のジョサイア・コンドル博士という同じ人でした。 |
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花の庭園を抜けると、その先には和の庭園が広がっています。和と洋の贅沢なコラボレーションです。
次の目的である六義園までは約1kmあります。さすがにここにきてのこの距離は堪えました。 |
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さらに、この六義園の広いこと。一応頑張って池を一周しましたが、最後に訪れるべきところではありませんでした。2年前に行った浜離宮みたいなところです。浜離宮は朝一番に行ったので、元気に隅々まで歩き回ったんですがねぇ。 |
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もうだめ、歩けましぇーん。ってことで、駅近くの喫茶店に入りしばし休憩。 |
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最後の力を振り絞り、蒲田へと戻ります。
駒込駅のツツジの植え込みを見るのは何年ぶりでしょうか。
弟宅へ行っても、大した時間はいられないので、ホテルに戻って1時間ほど休憩をし、その後合流して夕食を食べに行くことにしました。カミさんは完全に爆睡してました。
ちなみにこの日の歩行距離は10.4kmもありました。 |
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夕食は2年前と同じニーハオです。やっぱりここは感動します。前回は餃子の写真だったので、今回は「肉団子」です。肉団子と言いつつ、その実ほぼ「ハンバーグ」です。これで一皿分ですが、大人4人で分けてちょうどいいくらいです。一皿300円のメニューがたくさんありますが、どれも量が多く、取り分けてちょうどいいくらいなんです。その上美味しいんですからたまりません。次は何年後に来られるんだろう。
→6年後でした。 |
最終日は、羽田に向かうまでのわずかな時間を使って、10年以上年賀状のやりとりだけになっていた横浜の知人に出てきてもらって12年ぶりくらいに会うことができました。
その後、京急蒲田までの徒歩1km弱が重くのしかかりました。
帰りのJALは遅れることなく、ビシッと定時で福岡空港へと戻ってきました。 |
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