その後の記録

うさぎのうさ  禄太郎庵
2007年5月23日(水)  あとつぎがやってきた
 ちょうど1年ぶりの更新となりました。

 ひょんなことからちびうさぎを我が家で預かることになりました。というより、恐らく飼うことになるでしょう。



 あるおばあさんが道ばたにいるのを発見し、飼ってくれる人を探していてカミさんの職場に来たというわけです。しかし、うさと同様に、元々飼われたいたうさぎとの相性が悪いらしく、一緒にしていると噛みつかれるということで、我が家で預かることになったわけです。

 とは言え、そんな予定があったわけでもないので、我が家にはゴーヤなどを育てていましたので、うさの時のように放任飼いをするわけにはいかず、下のようなフェンスを作り、それで仕切った空間で飼うことにしました。



 やはり、うさの事故を経験しているので、今回はずぼらな私なりに気を使った飼い方になりそうな気がします。
 もう「うさ」ではないので、新しいコーナーにしないといけないかな。


 
2006年5月22日(月)  うさの家を解体
 うさが死んで1週間だか半月だか経った頃,ヨメにうさの家の解体を提案しました。リビングから見えるところに置いてあったので,見るたびに思い出してしまうから,と思ったわけです。しかし,ヨメはしばらくそのままにしておいて欲しいと答えたので,その通りにしていました。

 去年のいつ頃か,気が付いたら,うさの家が移動されていました。わずか数メートルの移動でしたが,リビングから見えない位置に移されていました。やっと第1段階をクリアしたという感じでした。

 そして,先日。やっとヨメから「解体しよう」と申し出がありましたので,休日の昼間に釘抜きなどを使いつつ,角材と板の状態に解体しました。思い起こせば,我が家を建てたときに余った木材だけで作ったうさの家でした。

 うさの家があった位置には,今はヨメがそれなりに工夫したであろう花壇になっています。両脇にうさぎの置物が置いてあります。まだ第2段階クリアしたってとこのようです。



2005年10月5日(水)  仏壇
 うさが死んでから1年以上になりますが,この度仏壇を設置する運びとなりました。

 先日あった弟の結婚式で引き出物カタログを貰ったのですが,これと言って欲しいと思うようなものがなく,困っていたのです。そこにこのようなミニの飾り棚があり,仏壇として使えそうだったので,注文してみました。左側の格子戸のところに骨壺が収納されていますが,サイズはピッタリでした。

 後ろにある写真がだいぶ色あせてきたので,この棚に合ったサイズのフォトフレームを探してから,印刷し直す予定です。
2005年7月21日(木)  一周忌
 一年前の今日は,我が家で飼っていたうさぎが死んだ日でありました。ちょうどこんな感じの暑い日だったなぁ。

 特別なことは何もしてませんが,ヨメがニンジンを供えていました。ヨメは今でも庭に出ると時々うさが走ってくるような気になることがあるそうです。私はというと,うさがいたのがずいぶん昔のことのように感じるんです。つい先日も「1年前にはまだこの辺走り回ってたんだ」と思い,不思議な感じを受けました。

 1日くらい遊びに戻ってこんやろか。クローバーがいっぱい生えとるばい。
 
 
 
2004年9月23日(木・秋分の日)   あの方がお参りに
 トランザルパーのカリスマ,ダブリン市民さんが初めてわが家へやって来ました。わざわざうさのためにお花を買ってきて下さり(写真撮っとけばよかった!),お参りをして下さいました。ありがたいことです。偉大なカリスマの突然のお参りに,うさもきっと骨壺の中でビビっていたに違いありません。
 そして、目的であった「単焦点デジカメ愛好会」第1回総会を開催しました。近所にある行きつけの居酒屋で美味しいお酒を頂きつつ、楽しくおしゃべりをしただけなのですが。
 
 ダブリン市民さん宅でも,奥様がご結婚前から飼われていたアーノルド君(通称アル君)という犬が去年亡くなったんです。一緒に阿蘇を走ってから,すぐ後のことでした。ブログに書かれていたんですが,私にはとても印象に残っていました。5月15日の書き込みを最後にアル君に関する書き込みがなくなったので,とても気がかりでしたが,掲示板やメールでその後の状況を聞くことはできませんでした。その後,6月21日の書き込みでアル君が亡くなったことを知ったのでした。
 うさが死んでから改めてダブリン市民さんのブログを読むと,1年2ヶ月後に私が書いた介護日誌と,その時ダブリン市民さんが感じ,書いている内容が非常に似ているように思えました。同じバイクに乗り,単焦点デジカメを愛用しているだけに感覚が似ているのでしょうか。となると,やっぱり私も近い将来キャンプツーリングを始めるんだろうか?。いやいや,感覚が似ているとしても,私は根性なしなので,それはないでしょう。

 ダブリン市民さん,ありがとうございました。
 いつの日か,アル君のお参りも実現しますから,その時はよろしく。



2004年9月15日(水)  「四十九日」と「旅行」
 早いもので,四十九日を迎えました。特に特別なことはしませんが,外の水入れに水をあげるのは今日でおしまいにします。昨日の夜,ふとうさを思い出しつつ外を眺めていたら,目が合いました。小さな猫でした。フェンスの猫よけはそのままにしてあるのに・・・。私が知らないだけで,意外としょちゅう来客があっていたのかもしれません。

 最近気付いたのですが,2泊以上の旅行にずいぶん行ってないんです。最後に行ったのは6年前の北海道です。その後1ヶ月もたたずにうさがわが家にやって来たのです。うさが来てからは,近場の1泊旅行には結構行きましたが,遠くには行っていませんでした。決してうさを飼うようになったから行けなくなったという意識は全くなく,行っていなかっただけなのです。ちょうどバイクでツーリングをするようになった頃でもあり,日帰り〜1泊エリアの散策が中心になったせいでもあります。
 さすがに去年ぐらいから,「そのうち」と言いながら山陰・紀伊半島・北陸・東北などに行きたいね,と言い始めていたのですが,そんな時でもうさのことは全く意識にはありませんでした。飼い主がそんなことを考えはじめたから,「ボクがいるから旅行に行けないんだ」と思い嘆き,月に行ってしまったのでは,と思ったこともあります。
 飼い主の負担になることなく,本当に自然にわが家に存在していたやつだったことを改めて感じたのでありました。そう言えば昨日,かなり大型の台風が来て,出勤を断念しましたが,そんな時でも家に入れるわけでもなくいつも通りに外で飼っていたんだなぁ,と改めて思いました。やっぱり見る人が見たら「動物虐待」に見えたかもしれません。



2004年8月15日(日)  「雑草」
 うさが事故に遭ってから4週間が過ぎました。外にうさがいないという状況には,慣れそうでなかなか慣れないものです。今ヨメは外で花を植えていますが,こういう作業をしているときは絶対に邪魔をしに来ていたので,きっと「寂しいな」と思いながら作業をしていることでしょう。

 暑い夏ということもありますが,外に小さな雑草が目立つようになってきました。うさは本当に優秀な雑草除去動物だったことを改めて痛感します。


  
2004年8月1日(日)  「判明」
 さっき外でゴミ出しの準備をしていたヨメが突然「ひょっとして・・・」と話し出しました。今までのうさの行動で,謎だった部分が解明した,と言うのです。

 夜テレビを見ているときに,ときどきうさがやってくるのですが,開いている側の窓ではなく,閉まっている側の窓から中を覗くような仕草をよくしていたのです。気付いて,少しカーテンをめくると,そこにうさが半分立ち上がったような状態でいるのですが,一体どういうつもりなのか,理解できていませんでした。

 リビングから外に出る部分の窓はベランダに出るところにあるような床から上まである窓でかなり大きいものです。暖かくなってからは,片側の窓を開けて過ごすのですが,夜になると開いている側は網戸でカーテンをせず,もう片方の閉まっている側だけカーテンをしていました。

 さっきヨメがひらめいたのは,自分の姿が窓に映るのを見ていたのではないか,ということです。確かにいつもうさがいたのは,閉まっている側と言っても,開いている側との境目に近い部分です。ここだと自分自身に部屋の中の光が当たりますし,正面の窓にはカーテンがかかっているため,鏡のような状態になるわけです。閉まっている側の端の方だと,そうはいきません。ヨメは実際に自分でもやってみて「やっぱりそうだ!」と納得していました。私もこれには脱帽です。気付かなかったなぁ今まで。

 うさが生きている時に気付いていたら,きっとどこかに鏡を設置していたことでしょう。
うさぎのうさ  禄太郎庵
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