5日目

次へ  介護日誌  うさぎのうさ  禄太郎庵

2004年7月21日(水)

 昨夜野菜を食べている途中で痙攣のような状況になったのですが,それは一夜明けた今朝も変わりません。昨夜ほどひどくはないのですが,どうも飲み込むことが上手にできていないようです。ペレットをポカリ水で練ったものは少し食べることができました(3粒分)。ポカリは昨日のようにパワフルに飲めません。良くなったのは呼吸なのか,心拍数なのか,体の震えるリズムが少しゆったりに戻ったことくらいです。食べることができなくなったら,本当にまずいので,強制給餌のための注射器状のものを,ヨメが調達に行くことになりました。

 それと,7kobitoさんから頂いたアドバイス通り,病院行きを検討しました。昨夜ヨメが調べた病院で,ちょっと遠いが,頼れそうなところを発見していました。昨夜の時点では「少し元気になったら連れて行く」と言ってはいたのですが,今朝の様子を見ると,打てる手は何でも打たなくては,という気分になりました。とりあえず,現状で連れて行くことに意味があるかどうかを電話で問い合わせることにしました。

 私が仕事に出る前に,二人で排尿マッサージをしました。今までが下手だったのか,他の理由なのかわかりませんが,過去最高量を放出(それまで最高の3倍以上と思われます)。昨日は午前中は確かにぐびぐび飲んだのですが,それでも30ml程度だったはずです。その後,姿勢の向き変えをしました。落ち着いてはいるのですが,どちらに向けても苦しそうにしています。エアコンの温度ももう少し下げてみよう。自動運転は室温がバシッと一定になるのですが,体感的には暑く感じます。ドライ運転に比べて湿度が高くなるようです。
 では,私は出勤。ヨメは昼過ぎまで介護ができる予定です。

 玄関を出る前にうさに「じゃ,な」と言って,靴を履きかけましたが,戻って「また,な」と言ってから家を出ました。


 昨日もそうでしたが,通勤中うさのことばかりを考えてしまっています。だからといって危ない目に遭いそうになるわけでもなく,今自分が事故にでもあったら,と考えただけでも気が遠くなるので,非常におとなしい運転になっています。今日は行きがけにガソリンスタンドに寄りましたが,宙に視線を向けている自分にふと気付きました。

 職場に着いても,余り仕事が手に付きません。いつもなら流れで出来ることが,ひとつひとつ考えながらでなければ進められません。病院行きはどうなったかな?連絡がないところを見ると「無理」と言われたんだろうか?。電話をしてみようか?。

 そんなことを考えていたとき,ヨメから電話が入りました。めちゃめちゃ泣いています。問い合わせた病院から「診てみましょう」と言われ,連れて行く途中,あと少しというところで動かなくなったとのこと。家までちゃんと戻れるか心配なくらい泣いていました。ヨメはペットを飼ったことがなく,うさが初めてのペットだったために,その悲しさは相当なものでしょう。私は実家で犬を飼っていたことがありますが,弱っている姿は見ていませんし,次に帰ったときは何もかもが済んだ状態でしたので,今回は相当に参ってしまうかもしれません。

 その後,ちょっと落ち着いてから,メールで今日この後の相談をしました。ヨメは当初,午後の仕事は出来ないと言っていましたが,仕事を終えてから葬儀社に連れて行くことに決めました。ヨメが仕事に行ってしまったら,うさは一人になってしまうので,最低限の仕事を済ませ,私が家に戻ることにしました。朝はぼーっとしていましたが,今後の予定が決まると,それに向けて仕事にもある程度集中できるようになりました。よく言われることですが,悲しみにどっぷり浸ってしまう暇はない方がいいのかもしれませんね。仏式の場合通夜・葬儀・火葬・初七日・四十九日・納骨など,遺族に息つく暇を与えないほどのスケジュールがありますが,一説によると,遺族が腑抜けにならないため,という意味もあるそうです。そう考えると,ヨメの午後の出勤や明日からの泊まりでの出張は,いいワンクッションになるかもしれません。かく言う私も,こうやって文章を綴って気持ちを落ち着かせているようなものです。

 今後のスケジュールが決まると,気持ちが落ち着いてきた部分もあるのですが,ちょっとでも隙間ができると,涙が出そうになりました。具体的には,テープの巻き戻しを待っている間がやばかったです(音響機器関係の仕事なもので)。

 帰路も冷静でしたが,家への最後のカーブを曲がった途端に視野がゆがんできました。家に入って,まず荷物を片付けて,それからヨメの部屋に入りました。うさが小さなタオルをかけられて寝ています。「うさ」と呼んでも反応はありません。背中を撫でようと触れた途端に涙が止まらなくなりました。動いていないだけで,見た目はそんなに変わらないのですが,触れた感じは,朝までのうさとは全く違う,作り物のような固さでした。いろんなことを話しかけながら,しばらく涙が止まりませんでした。こんなに泣いたのは「フランダースの犬」を見て以来です。

 落ち着いて文章を綴っているはずが,この部分にくると,涙腺に厳しいものを感じてしまいます。さっきうさを見てきたときには落ち着いていられたのですが。

 今日は,この後葬儀をします。二度目のお別れで,きっとまた泣いてしまうのかもしれませんが,家ではないので,出来るだけ耐えてこようと思っています。

 今後は,禄太郎庵の写真館にあるうさのページに,わが家に来たときのこととか,写真以外に文章でもうさの記録を残しておこうと思っています。

 最後になりましたが,今回の件に関し,お会いしたことさえないにも関わらず,ネットを通じたくさんの方々からたくさんのアドバイスや励ましを頂けたことに心から感謝しています。ありがとうございました。今回の事故に関しては,私がもう少し注意を払っていれば防げた面もあり,自分を責めている部分もあるのですが,D-MANさん7kobitoさんのサイトに巡り会うことが出来,「今からどうしていくか」「今どうしたらいいのか」を考えることが一番大切だと気付くことが出来ました。連休と重なってしまったため,病院を頼ることが出来なかった私たちにとって,非常に心の支えになったことは事実です。実質たった三日の介護でしたが,一生懸命に調べ・考え・うさにしてやるべきことは出来たし,何よりも落ち着いた態度でうさに接することができたことは,うさにとって良かったのではないか,と思います。

 本当に皆さん,ありがとうございました。
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